無責任な諺

本エントリーは「ssmjp Advent Calendar 2021」の25日目の記事です。

前日はjunjunさんです。

「好きこそものの上手なれ」という諺があります。

好きこそ物の上手なれとは、どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ。

故事ことわざ辞典

その対義語として「下手の横好き」という諺があります。

下手の横好きとは、下手なくせに、その物事が好きで熱心であること。

故事ことわざ辞典

これらの違いは、「下手の横好き」は「好きで熱心」だが努力をしていない(現状で満足している)、というように読み取れます。

しかし、それは本当でしょうか。

正確には、第三者からみて「下手である」と評価されている、ということではないでしょうか。

いっぽう「好きこそものの上手なれ」は、第三者からみて「上手である」と評価されている、さらにいえば「上達している」と評価されている、ということではないでしょうか。

これらの諺の共通点は、「第三者が評価している」ということです。

つまり、自分自身を「好きこそものの上手なれ」「下手の横好き」と評価することは、後者は謙遜の意で用いられることはあるかもしれませんが、いささか適切さを欠くことのように思えます。

「下手である」は「上達していない」ということでしょうか。

第三者からの評価が芳しくないとしても、同じこと、類することを10回、100回、1,000回…と繰り返すことで、何が上達していないのでしょうか。

それは上達が観測できないだけであって、ほんの少しずつでも上達していってるのではないでしょうか。または、上達したが元に戻る、の繰り返しなのかもしれません。

先日、友人に相談事をしたときに、

  • 完璧を目指さずとりあえず出す
  • 完璧を求めすぎて最も未熟なまま終わる

といった言葉を聞くことができました。

「好きこそものの上手なれ」は、ときに、上達には対象が好きであることは好条件となる、といった意味合いでも用いられるようです。

では「好きである」「好きになる」ためにはどうしたら良いのかは、この諺には書かれていません。

当然で、前述の通り、第三者の視点だからです。

対象を好きになる、を、どんなときに対象を好きと感じるか、と読み替えてみると、

  • 自身で「うまくできた」と思ったとき
  • 第三者から「うまくできた」と評価されたとき

がすぐに思い浮かびました。すなわち承認欲求が満たされたときです。

前者が強すぎればもしかしたら「下手の横好き」と評価されてしまうかもしれません。そして後者が強すぎたら、前述の「完璧を求めすぎて」となるかもしれません。

何事も上達するには、ある程度の学習が必要であるならば、好きになるためには学習が必要であり、下手なままその対象を行う、結果を出すことが必要であり、その結果は第三者からいかようにも評価されるのであれば、それを自身が受け入れやすいこと、例えば実績のある先人から、師事する先生から評価を受けるという環境を作るほうが良い場面もあるのかもしれません。

そこは個人で程度があり、独習の得意な人、そうでない人の差なのかもしれません。

昨年のAdvent Carendarの自身のエントリーでとりとめもなくぼやいていたことを少し言語化できて、もしかしたら少し前進できたかもしれません。

しかし、第三者のみなさんから見れば、前進の幅が観測できないかもしれません。

今後もLTでお目にかかることはあるかと思いますが、どうぞ温かい目で、あるいは適度な聞き流しで見ていただければ幸いです。

どうぞ良いクリスマスをお過ごしください。

そして来る2022年が素晴らしい年でありますよう、祈念いたします。

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